胆石日誌(手術編)
- 1998年12月14日(月)入院2日前
- 12月15日(火)ナルちゃんが
- 1999年1月 6日(水)再受診
- 1月 7日(木)再入院
- 1月 8日(金)術前検査
- 1月 9日(土)一旦帰宅
- 1月10日(日)再び病院へ
- 1月11日(月)手術日
- 1月12日(火)風邪?
- 1月13日(水)術後検査
- 1月14日(木)退院延期
- 1月15日(金)熱下がる
- 1月16日(土)院内感染
- 1月18日(月)退院
- 1月19日(火)お尻がかゆい
- 1月20日(水)抜糸・血液検査
- 1月21日(木)VG軟膏
- 1月22日(金)すぐ疲れる
- 1月23日(土)大いに休む
- 1月24日(日)ポリカインV
- 1月25日(月)お尻ましになる
- 1月29日(金)鍼治療・尻も快調
- 2月 3日(水)再血液検査
- ご感想など有りましたらどうぞ
1998年12月14日(月)入院2日前
後2日で入院である、いよいよ覚悟を決めなくてはと思っている矢先、ナルちゃんの調子が悪くなった。 食事の後からおなかが張りだしておさまらなくなってきた。 妻曰く「そういえば今日はおならのでが悪いみたい」だそうだ。 浣腸をしてみてもまったく引く気配がない。
そのうちお腹がパンパンになってきた。本人も苦しいようで「うーん、うーん」と唸っている。 このままでは可哀想なので三島救命救急センターまで走りました。 このときすでに夜の11時を過ぎていました。
専門家に診てもらっても結局することは浣腸くらいしかない。 レントゲンを撮ってもらったら通常の2倍に大腸が膨れているとのこと。 「これは苦しいはずです」と言われてもどうしようもなくいったん帰って様子を見ることにしました。 なんだかいやな予感です。 その夜は結局うなされっぱなしでナルちゃんもおみさんもほとんど眠れなかったようです。
12月15日(火)ナルちゃんが
朝一番ナルちゃんとおみさんは、兄貴に送ってもらっていつも掛かっている病院へ行きました。 僕はハルちゃんを学校へ送り迎え。 帰ってきたところへおみさんから電話がはいりナルちゃんはそのまま入院という知らせ。 僕の入院を直前に控えたこの日にまさかという思い。 仕方なく第二日赤に連絡して僕の入院及び手術を延期してもらいました。
次の日程はすぐには決まらないので年明けの1月6日に外科の部長と打ち合わせすることになりました。 少し気合いが抜けてしまいました。 これから正月を迎え飲み食いの機会が多いので発作が起きないかヒヤヒヤものです。 頓服持ってがんばりましょう。
1999年1月 6日(水)再受診
待ちに待ったこの日が来ました。午後3時の予約です。 「いつ頃の手術にしてもらおうか」とおみさんに相談したら 「いつでもええで、明日からでも入って早よしてもろて、もうこれ以上気がもたへんわ」と言う返事。
長引くとかえって気持ちが辛いのでしょう、現時点では子供たちの調子も良いし、早く決めてしまってほしいと言う思いだったのでしょう。 ハルちゃんと昼御飯の後準備をして病院へ出かけました。 部長とお会いするなり「子供の調子はどうや」と聴いていただきました。
「手術の日程も早いほうがええやろ、11日に予定している患者が延期になりそうやしベッドが空いてたらその日に決めるか」とのこと。 この日に決めるには7日からベッドが空いてないと無理なのですぐに手配に動いてくれました。 担当医を呼びつけて「5病棟へ行って誰か一人退院させてくれ」との指示。 担当医は少し困った顔をしながら病棟へ行きました。
しばらく待っていると思わしくない表情で担当医は帰ってきました。 どうもベッドの空きがないようでした。 再び入院課へ電話を入れて確認を取っていただくとベッドが取れたとのこと。 結局ここの病院の職員が入る予定だったベッドを空けていただいたようです。 出かける前におみさんが言っていたとおり明日7日からの入院と決まりました。 手術は11日、あまりのトントン拍子に決心が鈍る暇もありませんでした。
1月 7日(木)再入院
11時までに着くように家を出て予定通り入院です。今日は昼から外科のエコー検査。 それが済めば無罪放免。昼御飯を抜くことになっていたので検査の後でいただくことになりました。 3時半頃にいただくアサリのみそ汁と木の葉丼はどうにも食べられません。 暖かい内なら美味しかったでしょう。 僕の検査の時に限ってそこそこ美味いものが出るのは以前と変わってないようです。
1月 8日(金)術前検査
昨日から今朝にかけて採尿。これは術後の点滴の量を決めるために見るようです。 午前中に採血して、昼過ぎに抗生物質の適性検査、3種類の抗生剤を少しずつ皮下に注射します。 そのうちの一つはむちゃくちゃ痛かった。「いててててっ」と言うと「これは痛いんです」と医師。 どうせなら先に言ってくれればいいのに。
15分ほど後に皮膚の状態を見て「全部大丈夫」との太鼓判を頂きました。 喜んでいいものなのでしょうか。 後は麻酔科の医師との顔合わせだけ、それさえ済めば10日の朝まで外出できるのですが。 麻酔科の先生がなかなか来てくれないのです。 とりあえず病院にいる間は寝られるだけ寝てやろうと思っていたので、ずっとベッドの上で寝ていたのですが腰がだるくて仕方ありません。 同じ姿勢ばかりは続けられないものですね。
外出の申請をしている時間ぎりぎりの午後5時麻酔科の先生が来てくれました。 麻酔のことを少し説明していただきました。ここでちょうど時間となり家路につきました。 主治医からくれぐれも風邪を引かないように言われているので、おみさんに言われたとおりマスクを買って病院を出るときから家に着くまでマスクをつけて移動しました。
帰ればすぐにイソジンでうがい。これで万全です。 子供たちはお利口にしていました。 おみさんも口では無理しないでねと言ってはいるものの帰ってくるとうれしそうでした。 家族そろって夕食をいただきました。 子供たちを寝かせた後少しネット上を巡回、我が家のネットスケープのブックマークがこのところ増殖しています。 おみさんがどんどんお友達を増やしている感じです。
1月 9日(土)一旦帰宅
この日は一日休養日、ゆっくり起きてゆっくり過ごしました。 本来なら夕方から京都祇園にある恵比寿神社へお参りに行くところなのですが、いま人混みにもまれる勇気は無いので遠慮いたしました。 が、おみやげだけは頼んでおきました。
おみさんが明日からのために買い物に出かけました。 夕方子供たちだけ先に食事にしました、大人はお土産の到着待ち。 午後9時半頃、待ちかねたお土産が届きました。ウナギの蒲焼きです。 祇園の松乃というお店のウナギなのですが、京都にあって関東風蒲焼きのお店なのです。 関西風は焼くだけなので味が濃くジューシーで美味しいのですが、出来たての熱々でないと美味しくありません。 関東風はいったん白蒸ししてから焼くので皮も身もすごく柔らかく、冷めても美味しいし暖めなおしても関西風ほど堅くなりません。 お土産には関東風ですね。 子供たちも風呂に入れて、用意が調いました。明日からまた入院です。
1月10日(日)再び病院へ
午前11時頃には病院へ戻りました。すぐに検温、血圧測定などを終えて着替えました。 今日の予定は剃毛です。昼御飯の後しばらく経つと看護婦さんに呼ばれて処置室へ毛を剃りますとのこと。 体中に生えている産毛のような毛があると術前の消毒が十分に出来ないことがあるようで入念に剃っていただきました。 また、おへその垢(ごま)も綺麗に掃除していただきました。 小さいときからおへそをいじるとお腹が痛くなると言われて滅多に触らないようにしていたおへそですが 「そんな話は迷信ですよ」と言わんばかりの豪快なへそのゴマ掃除にはさすがに驚きました。 あんなに念入りにへそのゴマ掃除をしたのは生まれて初めてです。
1月11日(月)手術日
いよいよ手術の日です。まず朝一番には浣腸です。 何年ぶりでしょう浣腸した記憶がないほど前のような気がします。
次の処置が始まる前に兄貴が来てくれました。 一応手術室にはいる前には親族が居る方がよいとのことで、無理をお願いしました。 僕の術中に帰ってしまったようで、術後には会えませんでした。
術後は24時間ベッドで安静なのでトイレに行かなくても良いようにしておきます。 おしっこの方は術中に尿管が挿入されるのでこれも心配要りません。 次に、鼻からチューブを入れます。 我が家のハルちゃんやナルちゃんはすごいことを平気でしていたんだなと感心されられました。 最後に緊張をほぐすための筋肉注射をしてもらってしばらく待機、ストレッチャーで手術室へ入りました。
ストレッチャーから手術台へ看護婦さん総出で持ち上げてくれますが、思わず 「自分で移りましょか」と言ってしまいました(^^)。 顔にマスクが当てあられて数秒後から記憶がありません(^^;)
全身麻酔というのはリスクが伴うと言われています。 僕もはっきりしたことは分かりませんが聴いたことがあると言う程度でした。 内臓をさわる場合は全身麻酔でないと出来ないと外科の部長が言って居られました。
部分麻酔とどこが違うかと言えば意識があるかないかです。 部分麻酔の場合は意識がはっきりして自分で息もしています。 ところが全身麻酔は極端に言うと仮死状態になってしまいます。 安楽死に使われる薬として有名になった「筋弛緩剤」をまず投与して自発呼吸できないようにしてしまいます。 この後は人工呼吸器につながれて生命を維持するわけです。
そして手術が始まると呼吸をさせたり止めたりは麻酔科の医師によって行われますが、 当然手術する側の要求にもあわせなけれななら無いので精度が要求される術中は完全に呼吸を止めてしまうみたいです。 とは言っても酸欠になるまでは止めないでしょうし、 その時間が短いほど後遺症もでにくいと思うのですが。
麻酔科の医師が言うには勝手に呼吸されると内臓が動くのでと言っておりました。 でも、心臓までは止めないようなので少し安心です??
術後初めて気がついたのは病棟の処置室に戻ってからのことでした。 手術室でも覚醒の確認はされているようですがまったく覚えておりません。 看護婦さんに奥様もお見えですよと言われて振り返り「ご苦労さん」っと言ったような。 また、「兄貴はいつ帰った」と2回ほど聴いたらしいです。 聞いたことのない女性の名前は呼ばなかったそうなので一安心です(^^;
その後外科部長の回診で、お礼と少しの会話をしたのを覚えています。 このときの姿はいままでテレビでしか見たことのない姿に自分がなっていると言うことでした。 鼻からチューブが入り、尿管もついたまま、点滴は刺さっているし、酸素マスクもしています。 麻酔が切れて行くにつれはじめに気になるのが鼻から入っているチューブです。 看護婦さんに取ってくれと頼んでも、術後は主治医の許可があるまで取れないとのこと。 何とか早く取ってほしい。
寝返りをしたいけれどいろいろと邪魔なものがついている。 心電図の電極、血流量を計る(?)ためのピックアップが右手の人差し指に付いたまま。 どちらへ寝返るにもかなりの注意が必要でした。 術後の患者に気を使わせないシステムにしてほしいものですね。
当初の計画では4カ所穴を空けての手術となるように言われていましたが3カ所で済みましたとのことでした。 「素直な内臓でしたので」と主治医。 その内の1カ所からチューブがでています。 これは術後24時間以内に異変が起きた場合に即時対応するためのチューブだそうです。 突如出血したとか、今回の場合は胆汁があふれてきたなどと言うことが起きないとも限らないので、 24時間だけチューブから監視するようです。
夕方には主治医が来たのですぐに鼻から入っているチューブを抜いてもらいました。 抜くときの気持ちの悪さは例えようがありません。 酸素マスクも大げさで邪魔になるので鼻の穴に吹き込むタイプに変えてもらいました。 少しすっきりしました。 明くる朝までこのまま安静状態が続きます。 起きあがることもだめ、飲まず食わず状態です。 芯から寝られてはいない感じでずるずると夜が明けていきました。
1月12日(火)風邪?
術後は専属の看護婦さんが付いてくれて数時間おきに様子を見てくれます。 体温、血圧、尿の量など、てきぱきと仕事をこなしてくれています。 夜中に術後の発熱がありましたが、朝までには平熱に戻りました、すべて順調にことは運んでいます。
この日は朝から酸素マスクと心電図をはずしてもらいました。 どんどんすっきりしてきます。はずし終えたら部屋の移動です。自分の部屋へ帰ってきました。 体を拭きましょうと言って看護婦さんが来てくれました。 まだ尿管と点滴が付いたままなので自分では動けません。看護婦さんが全部してくれます。 体中拭いていただいて、もちろん下の方も全部です。顔だけ自分で拭きました。 おかげで気分スッキリ、ありがとうございました。
体につながっているのは尿管と点滴だけになり寝返りも楽になりました。 この日の昼から流動食がでて重湯とジュースなどをいただきました。 また、この日の内に尿管もとれ自分でオシッコに行けるようになりました。 点滴も夜寝る前くらいには取れる予定、夜はゆっくり眠れそうだと思っていました。
点滴が取れたころ麻酔も完全に覚めるのでしょうか体の状態が変化してきます。 まず、麻酔の影響で頭痛がしてきます。セデスをいただいて治ってしまいました。 それと、人工呼吸器の影響で気管支に異物を入れたために痰が絡みます。 かなり咳がでてなかなかタンが切れないのでもう少し早い目からたばこをやめておけば良かったと後悔していました。 夜中に眠れず看護婦詰所に行って咳止めの薬はないかと尋ねたが吸入をしてくださいとの返事ばかり。 風邪ではないかとおもうと言っているが取り合ってもらえなかった。
かくして一晩中せき込みながら夜が明けるのを待ちました。 術後の傷口にはあまりにも激しい刺激だったことは言うまでもありません。
1月13日(水)術後検査
どうにかこうにか持ちこたえて明けた朝の検温で37.8度の熱。 今頃熱が上がってくるのはどう見てもおかしい。
その後主治医が、「順調ですか、熱も下がって・・・」っと言いながら来てくれましたが 「今朝から微熱があって咳が止まりまへん」と言うと「風邪かなぁ」と不安げに 「ちょっと考えます」と言い残して出ていきました。
昼御飯の後くらいから処方された薬が来ました。何とか動き出した感じです。 ところがこの後どんどん熱が上がり最高時には39.4度、事態はますます悪化の道をたどるばかり。 このころにはさすがの僕もふらふらです。 解熱の座薬を入れてもらい布団をかぶって汗かいて熱を下げることに専念しました。
運良く食事の時は熱が下がっていたので何とか食べることが出来ました。 昼からのガーゼ交換の時、患部観察用のチューブを抜いてもらいました。 ますます状態はすっきりして行くところなのにいったいこの熱は何だろうか。 夕方にも座薬、夜中にも座薬と言う状態でこの夜もあまり眠れませんでした。 夜中にしてもらった座薬ではもはや体温は下がりませんでした。 仕方なく今度は解熱剤の筋肉注射に変えてもらったら少し効き目がありましたが、もう熱が下がりきることはありませんでした。
何人もの看護婦さんにお尻の穴を見ていただきました、 座薬を入れるときはキシロカインゼリーを使って看護婦さんの指の第二関節ぐらいまで一緒に入ってきます。 仕事とは言え他人のお尻の穴に指を入れるのは大変ですね。
1月14日(木)退院延期
本来なら退院の日、ところが実際は熱にうなされている真っ最中、なんと言うことでしょう。 それにしても高い熱がでて困ります。幸い病院にいるので気持ちはリラックスしています。 僕自身は喉が痛いし鼻も詰まるし風邪だと思うのですが、主治医は風邪であることの証明は難しいので風邪以外が原因でないことの検査を予定に入れました。
血液検査と尿検査、レントゲンに腹部エコー。術後の不具合が無いか確認です。 微熱ならまだしも高熱が続いているので主治医も気が気ではなかったでしょう。 尿と採血は朝一番に、レントゲンは昼過ぎ、腹部エコーは3時頃でした。 最後の腹部エコーで特にどれも問題がないので現在の熱は風邪の熱と仮定して点滴を処方しますので、 完治するまで退院を延期してくださいと主治医に言われました。
その日の夕方から始めて朝晩2回の点滴を続けることになりました。 夕方すぐに点滴が来て入れてもらいましたがすぐに効くわけでもなく、 何とか夕食だけ済ませてベッドの上で熱との戦いが続きました。 氷枕の氷があんなに心地よいと思ったことはありません。 就寝前の検温で再び39.4度の熱がでたので再び座薬を使うことになりました。 今度はなにが何でも思いっきり汗をかくためにいくら暑くても布団をこっぽりかぶってじっと我慢していました。 汗が出きった頃を見計らって下着とパジャマを交換して再び布団をかぶりまた汗をかくと着替えての繰り返し。 いつになったらゆっくり寝られるのやら。
1月15日(金)熱下がる
朝の検温で37.2度、ほっと一安心です。 後はぶり返すことなく快復してくれるのを待つばかりとなりました。 この日は一日ほぼ安定、熱も落ち着いてきました。 このまま点滴と薬でこの3連休を過ごせば月曜日には退院できそうです。
1月16日(土)院内感染
昨日下がった熱はどうやら落ち着いてくれたようです。 手術後の点滴が終わったらすぐに熱が出てきたので、術前に風邪をひいていたのかもしれません。 看護婦さん曰く、暖房が効いて乾燥しきっている病院こそ風邪のウィルスの温床で、院内感染が一番疑わしいとのこと。 発症自体が術後だったのが幸いでした。術前なら延期は必至。それこそまた一から出直しです。
1月18日(月)退院
退院の朝が来ました、この日の朝にも点滴をしていただきました。 熱は下がったのですが体調万全とは行きません。しばらくは無理をしないことが寛容です。 本来なら今日が抜糸の日ですが、ドクターは朝からオペが入っているので夕方でないと抜糸してもらえません。 帰るのがますます遅くなるのでこのまま帰ることにしました。
確認用のチューブが入っていた傷口はどうせ20日にならないと抜糸が出来ないので、その日に会わせて全部抜糸することになりました。 抜糸とは言うモノの糸ではなく針金です。 実際にチューブが入っていた傷口を縫合する瞬間を見ましたがなんともあっけないモノです。 ホッチキスのようなモノでぱちんと留めるだけの簡単なモノです。 実際には食い込んで掴んでいるので段ボールの箱を留めてある金具を思い出していただくと良いかと思います。
退院のために精算をしていただきましたが始めに聴いていた全体で15〜6万というのは当てにならない情報でした。 今回の支払いが15万円弱、前回の検査入院と合わせると24万円近くを支払うことになります。 僕は5〜6万くらいと思っていたのでびっくりしました。まさか風邪の治療に10万円はかからないでしょう。 お金の話もインフォームドコンセントの内ではないかと思うのですが如何でしょうか。
兄貴が車で迎えに来てくれると言うことになっていたので待たせてはいけないと思い表に出てみましたがまだ来ていないようです。 戻ろうと振り返ると義姉が歩いて来るではありませんか。 「兄貴は」と聞くと「突然の仕事が入って来られなくなったんです」とのこと。仕方ありません。 荷物を一つ持っていただいて地下鉄の方に歩きかけると「タクシーで帰りませんか」と義姉。 そんな手があったことをうっかりしていました。 今まで入退院をリュックサックとボストンバッグを持って電車で来ていたので思いつきませんでした。 早速タクシー乗り場へ行きタクシーに乗って帰りました。
1月19日(火)お尻がかゆい
久しぶりに仕事場にも顔を出しました。 大したことをするわけでもありませんが、なんだかホッとした気分になりました。 まだ、お腹が針金で留めてあるので落ち着きません。 気分だけのモノで痛みはないのですがどうも落ち着きません。 普通は抜糸してから退院するので、普通の人なら味わうことのない瞬間なんだなぁと、変な感慨に浸ったりしてしまいます。
この頃からどうもお尻の肛門の回りがただれているのかかゆくてたまりません。 排便の時も痛みが伴います。これは困ったことです。 何が原因かわからないままオロナインを塗ってみましたがまったく効き目がありません。 しばらく様子を見ることにしました。
1月20日(水)抜糸・血液検査
抜糸の日が来ました、朝から子供達のご飯を手伝ってそこそこの時間に家を出ました。 受付は11時までですが10時40分頃病院に着きました。 受付を済ませると案外早く呼んで頂きました、処置台に乗って抜糸です。 専用のペンチみたいなモノを取り出して針金の中央を掴むと今まで僕の身を挟んでいた金具がパカッと開いて外れていきます。 いたって簡単な抜糸です。 ドクターに「この針金の材質は何で出来てるの」と聞いてみたがハッキリした答えはありませんでした。 人体に使うのだから錆が出ないでアレルギーの心配がないモノを使っているとは思うのですが、色が金色なので金メッキかもしれません。 そんな話をしていると「記念に差し上げますと」言ってテープに留めてお持ち帰りにしていただきました。
ちなみに体内に残っているクリップ(胆のう胆管と胆のうの動脈を留めているモノ)はチタン製だそうです。 以前アメリカでチタン以外の金属を使ったためにMRI(超磁場断層撮影診断装置?) の検査の時に身体からクリップが飛び出た事件があったそうです。
さて、抜糸も済んで無罪放免かと思いきや、血液検査の結果が思わしくないので薬を飲みながらの経過観察処分となりました。 術後に起こりやすい症状らしいのですが高ビリルビン血症やGOT、GPTの値などが問題になります。 ビリルビンは下がったのですがGOT、GPTが正常値の倍くらい、γ-GTPが8倍くらいの値です。 2週間禁酒を続けて薬を飲み続け、再度血液検査に来て下さいとのお達し。 しばらく品行方正な生活となりそうです。
1月21日(木)VG軟膏
子供の病院へ定期検診に行きました。 本来なら20日の水曜日でしたが、僕の抜糸が重なってしまったのでこの日に変えました。 子供達の診察を終え薬の処方の時に僕のお尻のことを話して、リンデロンVG軟膏をもらって帰りました。 抗生物質と副腎皮質ホルモンの入った軟膏だそうです。これで一気に悩み解消かと喜んで帰りました。
1月22日(金)すぐ疲れる
昨日から職場復帰で仕事をしているのですが、なんだか調子が出てきません。 術後にひいた風邪のせいなのか、肝臓の機能が戻っていないせいなのか。 原因が分からず調子が悪いのは不安です。夕方少し気分が悪いので早い目に引き上げて家で休みました。 1日ぐらいでは分からないのかもしれませんが、VG軟膏もあまり効き目が無い感じ。 明日以降も症状が改善しなければ手術をしていただいた主治医に聴こうかと思います。 ひょっとして飲んでいる薬と関係があるのかもしれないし・・・。
1月23日(土)大いに休む
子供達は学校がお休みなので一緒に僕も休みました。 仕事はあるのですが体の調子が上がらずまったく気が乗りません。 このまま仕事に出てもほとんど仕事にならないので今日は休むことにしました。
充分休めばとれる疲れなのかそれともそれ以外の原因なのか、どちらにしてもこの土日は休むことに専念しようと考えました。 お尻のかゆみはまったく取れません、いよいよ主治医に相談かと思っていたところ、妻がいろいろ調べてくれたところによると 入院中かなりの量の抗生物質を投与されているので正常な免疫機能もかなり低下しているものと考えられ、 本来なら自分の免疫で日頃押さえられているカビなどの菌の力の方が勝るほど免疫が低下してしまうことがある。 それが原因のかゆみではないかとのこと。
もしそうだとすると抗生物質は逆効果。水虫用の軟膏などが効くはずだと言ってくれました。 なんともいたしがたい状況です。身体の疲れもその辺から来ているのかもしれません。 手術で痛めつけた身体にインフルエンザでさらに痛めつけたのでかなりのダメージがあって当然です。 普通の状態でも風邪で39度もの熱をだすと元に戻るのに一月はかかると言われているので当然かもしれません。 本来の調子に戻って今まで通り楽しく食事が出来るのはいつになるのでしょうか。
1月24日(日)ポリカインV
妻が買ってきてくれた水虫用の軟膏を塗りました。 メントールが入っているのでカッと熱くなった後すーすーします。 実はこれが大正解、夕方にはかゆみが落ち着いてきました。 約1週間点滴を打ち続けることがどれほど体調を変えてしまうかと言うことを痛感いたしました。 でも体調はまだ落ち着きません。時々お腹が気になります。 穴を開けたところ以外もつっばりやしこりがあり押さえるといたい状態です。 かなりかき回されたのがこの頃になって分かってきます。疲れやすいのも相変わらず。 徐々に回復を待つしか方法がないのでしょうか。
1月29日(金)鍼治療・尻も快調
体調があまり戻らないのでいつも通っている針治療に行きました。 術後のフォローアップにはもってこいだと針の先生がおっしゃいました。 実際に針の治療を受けるとお腹のしこりや突っ張りが和らいできます。 頭の中もスッキリしてきて大分と疲れがとれました。 しばらく週に1回くらいの割合で通おうかと思っています。
この頃にはお尻の調子はほとんど戻りました、今ではスッキリしています。 もう少し軟膏を続ければ完治しそうな感じです、妻を見直してしまいました。 ちなみに軟膏はお風呂上がりが効果てきめんです。
2月 3日(水)再血液検査
2週間の投薬を経て診察に行きました、血液検査の結果まだもう少し薬を続けなければなりません。 γ-GTPの数値が206と異常に高く下がり切りません。
Dr「お酒の影響が抜けませんね。」 僕「酒飲んでまへんで。」 Dr「いやいや、昔の酒の影響ですわ。」 僕「そんなはずはないですわ、最初にここの消化器科で診てもろぅたときには正常な値でしたで。」 Dr「そうですか、ほんなら手術の影響やね、もうちょっと薬を続けてみましょか。」 僕「また2週間でっか?」 Dr「はいそうです。今も徐々に下がってますから徐々に下がってくるでしょう。」 僕「それで、薬をやめたらまた悪くなってくることはないの?」 Dr「普通そんなことはないですよ。」 僕「ほんなら、安心です。」
と言うことで、引き続き2週間禁酒が続くことになりました。残念です。 引き続きまたご報告いたします。
キーワード:
参照: